ボクの母さん2


あんなに周りから反対され購入した高額の 幸せになる壷 を

「こんなのじゃ幸せになれない!」と叩き割っていたのは

いつの事だっただろう?

ボクの家の中はTV番組でよくお目見えする位のゴミ部屋が仕上

がりつつあった

母さんは何かと言い訳をしながら家事をしなくなっていった

ボクが「明日着ていく体操服がない」と言うと

「そんなの知らないわよ!私はねあんた達の世話をする為にいる

んじゃないわよ それくらい自分でしなさい」と言われた時はそ

の言葉に驚いた

かといってその頃はまだ 家事全てを放棄していた訳じゃない

母さんは徐々に 徐々にと家事をおざなりにしていった

母さんの部屋や台所にゴミが溜まりだすと 怒鳴りながらも

オヤジがゴミを捨てていた光景を何度か目にした

オヤジの片付け方は 選り分けながらという訳ではなかったので

母さんは逆上しながらオヤジが片付けて捨てたゴミを又拾いに行

くという行為が繰り返された

母さんにとっては新聞のチラシや食品の包み紙ですら必要なもの

だった

母さんは誰が片付けようと最後に必ずこう言う

「要る物だったのに!」と

台所のテーブルの下はゴミで足の置き場がなくなり

テーブルの上も食べる場所もなくなりはじめた頃に一度

ボクもそれを見兼ね ボクなりに片づけをした事がある

母さんに「ほら、こうやって整理すると綺麗になるよ」と言うと

「あんたは片付け上手ね」と褒められ嬉しかったものだ

だが結局 数日経つと又同じ環境に戻る

 
そんな母さんに より一層拍車をかけた物は次にはじめた宗教だ

母さんはその宗教に今までの何よりもずっぷりはまっていった

又ボクも学校から帰ると 昔別の宗教のような所に連れて行かれ

た時と同じようにその集会所等に連れて行かれた

ここではその宗教を M教 と呼び それを勧誘してきた女を 

B女と呼ぶ

M教に関しては母さんは周囲の人間(祖父母や親戚)のみならず 

赤の他人にも嫌がる周囲をよそにそれをゴリ押ししすすめた 

やはりその時も「皆が幸せになる為にしているのよ」と壷や印鑑

のときと同じように繰り返し言っていた

このM教によりオヤジや親戚との関係性は更に悪化した

オヤジと母さんの喧嘩も更に悪化したのは言うまでもない

 

オヤジは「仕事の事も考えてくれ」「やめろ!」「そんな暇があるなら家の事をしろ」

と数年間いい続けている事を繰り返し怒鳴りながら言っていた

祖母も「いい加減やめなさい」と言った

だが母さんはやめる事無くそれどころか仏教の祖父母にもM教を

すすめ断られると「私は皆の幸せのためにやっているのに」

と癇癪をおこした

母さんのM教に対する執念は尋常ではなかった

その頃にはもう母さんの部屋は立派なゴミ部屋になっていた

台所も酷い状況になっていた

 
そんな中 ボクがいくつの時だろう? 祖父母や上の子が

「えっ?」と驚いていた事があった

オヤジと母さんは口を開けば喧嘩 当時から寝室も別で

会話も殆どしてなかった 

祖母も上の子もボクも もう別れてお願い と言っていた最中の

ことだ  母さんに子供ができたというんだ

喜びながらも祖母がボクにこう漏らした

「あの2人になんで子供ができるかね・・・」

何故そんな事を言うのか・・・当時のボクには意味がわからな

かった

オヤジは産む事に猛反対していた

上の子は「いつも口も聞かなかったり喧嘩ばかりしてるのに気持

ち悪いんだよお前ら」と叫んでいたのを覚えている

上がそう叫んでいた意味も当時のボクには解らなかった

もしその当時その意味を知っていたならボクもそう言っていたの

かもしれない

だけどボクにとってこの劣悪な環境の中で 赤ちゃんができる事

は楽しみで仕方なかった

だから産むなと言っているオヤジに腹が立った

ボクは出産で入院していた母さんの所へ学校が終ってからよく

通った

部屋はゴミで赤ちゃんを受け入れ育てるスペースがなかったので

祖母と祖母の妹が来てくれ片付けをしてくれているのを見か

けた

退院後 その綺麗になった部屋に母さんと赤ちゃんは戻ってきた

だけど 母さん達が家に戻り一年経たず位でゴミは又増え

赤ちゃんはゴミ部屋の中で育てられていた